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2018年1月にネットビジネスを始めた素人が、月収700万円を稼ぐまでの全軌跡(悩んだこと・やったこと・収入全部公開します)
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2019/09/05 大幅更新

月収300万円達成ストーリーのはずが、入院中に月収700万円突破しました。せっかくなので、月収300万円→500万円→700万円とステップアップするために、やったことも全部書いています。

700は中途半端なのと、無事に退院もできたので、月収1,000万円は必ず達成します。その過程もこのnoteで全部書いていく予定です。

こんにちは。

伊藤です。

このnoteでは、私が2018年1月に「金ナシ・こねナシ・経験ナシ」でネットビジネスの世界に飛び込んで、45日で月収30万円、210日(7ヶ月)で月収100万円、そして月収300万円と大きく稼いでいくストーリーをお届けします。

いきなりですが、2019年5月(一部)の私の銀行口座です。これだけで300万円を超える収入があります。特に企画(ローンチともいいます)はやっていないので、これくらいの収入は毎月安定して入ってくるようになりました。

ネットビジネスを始めたのが2018年1月。

2018年3月末に月収30万円を超えました。

2018年7月に月収100万円を達成。


そして先ほどの通帳でお見せしたように、月収300万円を維持できるようになってきました。約1年半での出来事です。

ここまで書くと、、、皆さん半信半疑になると思います。1年半前の私がここまでの文章を読んでも、「本当かよ、、、これ」と疑っていたと思います。

ですが、これは私が1年半の間に全て自分で引き寄せてきた実体験です。このnoteでは、そんな私が月収30万円→100万円→300万円とステップアップするために、何を考え、何をやってきたのか?それを全て書いていきます。

2018年1月時点の私と同じく、「現状を抜け出したい」「何かを変えたい」そんな気持ちのあなたが、このnoteを読んで、人生を変える助けになればと思っています。

2019年6月4日 病室にて

※補足※

えっ、病室、、、となった方のために、補足説明です。

2019年4月に大腿骨骨頭を骨巨細胞腫(いちおう良性腫瘍)が原因で、病理骨折して、救急搬送されました。抗腫瘍薬の治療を経て、人工骨頭置換を行い、このnote執筆時はリハビリ入院中です。

たぶん、2019年6月末には退院できます!

先ほどお見せした、2019年5月(一部)の収益は、病室にいながら稼いだ金額となります。これがネットビジネスの力だと確信しています。病気になっても何ら生活の不安なく生きていける、そんな生活を手に入れた私のリアルを書いていきますね。


第1章 伊藤課長さ、、、明日から会社来なくてもいいよ

サラリーマン時代は順風満帆でしたよ。あのときまでは。

-----このラインより上のエリアが無料で表示されます。-----

大学卒業して大学院を出て、それから食品メーカーの研究職として5年間勤務しました。海外赴任や国内工場勤務も体験させてもらって、それから海外経験を生かして、中小メーカーの貿易課長として転職しました。

転職してからは月に1回くらいのペースで海外出張に行って、毎週国内出張に行くような、絵に描いたような猛烈型のサラリーマンでしたが、中小メーカーの3人部署の課長だったので、自分の好きなことを仕事にして、好きな国に出張して、どんどん顧客開拓していったんです。

あっ、白色のシャツが私ですからね。

南京(中国)に出張したときの会食風景です。


気づけば転職時点で1億円だった海外売上は、約3年間で3倍の3億円になってました。給料も中小企業勤務にしては大手水準程度は貰っていましたし(成果給が多かったです)、売上を増やせば増やすほど、自分の職責も増していきましたが、心地よい程度の緊張感でした。

私が勤めていたのは典型的なオーナー企業で、創業社長の息子(といっても60代でした)が2代目社長として君臨していました。売上を上げていた私は、給料面でも仕事でも優遇されていたと思います。言うなればちょっと天狗になっていたんですよね。

そんなある日、私のオフィスがあった工場の総務(基本的に工場の総務部門が電話やFAXを取り次いでいた)に私宛のFAXが届いたんです。私は自分でFAXを使うことはなかったのですが、お客さんからくるものや、JETRO(日本貿易振興機構)からの連絡はFAXが多かったと記憶しています。

そんなある日、私宛に届いたFAXが私のオフィスの複合機に転送されてきました。そしてさらに工場事務所の女性から電話がかかってきます。「伊藤課長、FAXが届いたので、伊藤課長の机近くの複合機にFAXしておきました」

正直な話面倒くさいなと思ったんですよ。「FAX送ってから電話するとか時間の無駄なのでやらなくていいです」と電話口で言ってしまったのです。

ここまでだと、ただの社員同士の内輪話なのですが、実はこの工場事務所の女性というのは、社長の奥様のお姉さまだったのです。つまり社長の義理の姉ということになります。

やっちゃいましたね。

知らなかったといえば、それまでですが、オーナー企業においてオーナー親族に楯突くということは、もう死亡フラグが立ってます。

案の定、社長から疎まれた私は、その後急速に社内での立場が無くなっていって、他部署からの嫌がらせの類も毎日バンバンやられるようになっていきました。

例えば私は工場で作った測定器を海外に輸出していたのですが、クレームがあると商品を海外から返送して、工場の品質保証部門でチェックをするんです。クレーム対応は早ければ早いほど良いのですが、私の案件はいつも後回しにされるようになっていきます。もう、仕事がどんどんやりづらくなっていきました。

持ち上げるときは持ち上げておいて、落ちるときは急降下。これがオーナー企業なのです。

諸行無常です。

そんなある日、総務部長に呼ばれました。

伊藤課長、あしたから会社来なくてもいいから。居場所ないでしょ。

これ、実際に私が総務部長から言われた一言なんですよね。今思えばパワハラ云々で抗議することもできましたが、当時の私にそんな力は無かったです。

その後は辞表を提出して、会社を去ることにして、気づいたらサラリーマンの肩書が外れてました。これが2018年1月20日のことです。

中小企業の貿易課長(といっても名ばかり管理職ですが)として、自由にあれこれやってきた私としては、もうサラリーマンとして縛られる生活はできないな、そんな風に思っていたので、再就職の面接などは受けずに、自分で独立してできる仕事を探すことにします。

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