知識共有プラットフォーム「ブレイン」
生き抜く力 【ガンと闘う10歳の僕に起きた奇跡】
部数制限なし

■はじめに

私は、小学生三年生の夏、ガンになった。そのガンは、骨肉腫という骨の中にできるガンであった。私は、右足の付根に発症した。今から40年も前のことだが、当時の医療技術ではガンに侵された骨を摘出する手術が主であり、脚部に発症したケースでは、足を切断する。腕部の場合には、腕を切断する。つまりは、癌に侵された部位を切り取る手段が生き残る方法とされていた。私も例外ではなく、他の患者さんと同様の手術方法を説明されたが、拒否をすれば、命はなくなるため、選択の余地はなかった。事実上の、足の切断の宣告だった。しかし、現在の私には、両足とも健在だ。当時、数百万人に1人の割合で発症していたこの難病だが、生存者は三割程度と聞いており、生還することすら難しい病だったのだ。そんな難病をわずか10歳で発症してしまった私は、自分の置かれた状況を理解できず、周りで騒ぐ大人達の姿を見て、ようやく、事の重大さに気がついてきた。周りの大人達は、私に対して、「若いのに、可哀想ね。」と決まって発していた。その言葉や、私を見る表情が私を傷つけた。次第に、私は孤独感に埋もれ、押し潰されそうになってきた。

周りにいた大人達とは、一緒にできないが私の両親は、私に対して他とは違う接し方をしていた。正直なところ、当時の記憶はあまりないのだが、そっと側にいてくれる。あまり、語りかけたりはされず、寄り添ってくれていたのが、両親だった。正直、私は自らの置かれた状況を徐々に理解できたころであったが、人とはあまり話をしたくなかった。人と話をすると、相手に気を使い、言葉でも態度でも相手に配慮したり合わせたりしなくてはいけないことがあり、そんなことをする余裕のない私には、とても、苦痛だった。自分のことだけで、いっぱいだった。学校をずっとお休みしていた私は、いつもテレビを付けっぱなしにしていて、夕方になると、アニメ番組が流れるのをボーッと見ていた。アニメの「トムとジェリー」がテレビ画面に流れたとき、とても、孤独な気持ちになり、時折ひとり泣いていた。癌という病気は、人を孤独にする病気だ。身体の苦痛よりも遥かにつらいことだった。私は、わずか10歳にして、将来の夢や希望を持つこと自体を諦めるしかなかった。ずっと先の未来よりも、半年先、一年先の自分の状態を案ずるしかなかった。どのような言葉も慰めになるどころか、より自分自身を孤独な世界に閉じ込められた。私は、わずか10歳にして、死後の世界を心配していた。

この続きを見るには購入する必要があります